ある食材に関する哲学的考察

夕食はタイスキだった。
あらかた食べ終えた時に嫁さんが「オジヤ食べる?」と聞いてきた。
「もちろん食べる」と答えると何やら不思議な事を言い出した。
「まだいっぱい残ってるけど、麺はどうする?」
「麺?」
今日のタイスキにはうどんは入れなかった・・・
「麺ってなに?」
「白い細いの」
「・・・ひょっとしてマロニーの事か?」
マロニーは麺じゃないだろ。
いや細かな条件を見ていけば(そんなものがあるとして)麺と言えるのかもしれないけど、なんだか麺とは言いたくない。
だいたいマロニーはラーメンの麺やうどんの麺、あるいはビーフンのように主役を張れる料理法が無いだろ。
たいがい何かの代用だ。
従ってマロニーは自立していない。
だからマロニーは麺じゃないんだ。
いや待てよ、ビーフン以外の麺はみな「何々の麺」という風に頭に料理法が付いてるじゃないか。
これはそのもの自体に名前が付いているマロニーの方が自立しているというべきなのか?
いやいやいやいや、今問題にしているのはマロニーが自立しているかいなかではなく、マロニーは麺かどうかだ。
う〜、混乱してきた。
誰か答えを教えてください。
あっ、もちろんオジヤは美味しくいただきました。